集落と地形(原風景を巡る旅レポート3)

とても不思議な形をした島。どこまでが自然でどこまでが人工なのでしょうか。そして自然の造形と人工物が織りなす地形や風景には不思議と安心感を感じます。


徳島県海部群牟岐町の牟岐港から15分の沖合に浮かぶ出羽島という島があります。


海部郡牟岐町に在り海上二十餘町

往昔は無人の孤島なりしも漁業に

適するを以って移住するもの多く現今

百二十餘戸を算す、人情惇朴、

生活平安にして風光絶佳、

眞に海上の理想郷なり

(東宮殿下徳島県行啓記念より)


黒潮がもたらす豊かな漁獲によって栄えた出羽島。

1800年頃から本格的な移住がはじまり、人口が一時は1000人を数えたとされ、高度成長期の大規模開発に影響を受けず、近世から昭和にかけて形成された町は、伝統的な漁村集落のたたずまいを今に伝えて、平成29年2月に国から重要伝統的建造物群として選定されました。今では、島民約70人が暮らす静かな島です。


島の北側に入江があり、その入江沿いに漁村集落が形成されています。かつてはカツオ漁が盛んであったが、現在では近海での沿岸漁業が生業となっている漁師町です。(出羽島おいでってばより)


私たちの訪問予定日は大雨で船が欠航し、一旦は諦めたのですが、次の日は晴れて朝一港に電話をすると出航するとのことで、旅路を少し引き返して念願の訪問を果たせました。

乗船客は、私たち家族とその島の住民を思われる方数人だけ。移住者の方かなというような雰囲気だったと思います。


あまり前情報を得ずに訪れたのですが、この島にはなんと車が一台も走っていないとのことでした。大きな荷物などは港に置かれている共用のネコ車と呼ばれる手押し車で運ぶのだそうです。

私たちが港に着いた時には、島民の方がネコ車に荷物を積んで船を待っておられました。一緒に船に乗っていた方と何かしら会話をされていました。みんな顔見知りなんですね。島民数からすると皆家族に近いようなコミュニティが想像できます。


港を離れ、伝統的な家屋が並ぶが細い道(通路)を進んでいきました。確かに車が通れるような道幅はなく、通路の両脇には軒先の縁台が雨戸を兼ねるという(ミセ造り)の町並みが形成されています。

上下に開閉する雨戸を開けると下半分は腰掛けベンチ、上部は庇のようになります、道が細いので向かいの家とちょうどよい距離感で腰掛けて会話ができる、ヒューマンスケールな空間となっていました。(京町家などでもばったり床几という似たような折りたたみ式の腰掛けがあり少し似ています)

空き家も多かったのですが、修繕して住み継いでいる家もあり、そのままの雰囲気を残す家屋もあれば、思い思いに好きな色を塗装している家屋もあり、自由で楽しい暮らしも想像出来ました。


1時間もかからないくらいで、島の町並みを見て廻れる小さな漁村です。入江は想像通り穏やかな海でした。

空き家もある反面、新築のような伝統的なミセ造りの家屋も数件みかけました。人口は移住者によって増えたり減ったりしているのでしょうか。


70人の漁村の出羽島、我々の住む的形の磯地区の住民は約50人。世帯数にして20〜30程度だと想像できます。

太平洋側の強い波と、その波で角が取れ、つるつるになった石を見て、改めて自分達が暮らす瀬戸内の海は穏やかだと再認識したり、

この島は当初どのような地形だったのだろうか、無人島だったこの島へ初めて訪れた人々は何を感じたのだろうか。そんな事を思いつつ、出羽島を後にしました。


愛媛県の外泊集落は住民の意向で保存地区には指定せず、一方出羽島は保存地区の指定となりました。我々の住む磯、外泊集落、出羽島、同じく海に面した集落はこれからどんな未来を歩むのでしょうか。


※島民のプライバシーを守る為にいくつかのルールがあり、許可なく家屋などの写真撮影は禁止とのことでした。

町並み等にご興味がある方は公式のHP等をご覧いただけたらと思います。そしてぜひ訪れて頂きたい美しい集落です。

(過去に徳島新聞で取り上げられた記事を見つけたので貼り付けておきます)


一級建築士事務所 hifumiarchitects / ヒ フ ミ ア ー キ テ ク ツ

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