原風景を巡る旅レポート2

外泊集落 (愛媛県南宇和郡愛南町〈 海を目の前に抱く山裾に形成された集落です〉)

『何故そこまでしてこの場所に住むのか』この疑問がこの集落の最大の魅力。

実際に訪れた率直な感想は、正直『想像していた集落の風景とは(何か)違っていた』この想いに尽きます。

外泊集落を初めて知ったのは、二川幸夫 『日本の民家1955年』の写真集で、今から67年前の風景写真でした。

ここまでの高さの石垣を積んだ人々の執念とでも言い表せば良いのでしょうか、強い思いを石垣から感じ、その石垣に隠れるように身を潜めるように建つ住まい。石垣からは屋根しか見えない、『何故そこまでしてこの場所に住むのか』この疑問がこの集落の最大の魅力だったのです。

戸主制度がとられていた時代の『長男以外』が築いた村であった。

幕末に外泊地区に隣接する中泊地区の人口が増加し、地区の指導者が各家の二男以下に分家移住を提案し、これに応募した人々により移住がなされました。地名の通り中泊より島の外(端)に位置する場所です。高い石垣は台風や季節風から家を守るために(眼の前は海です)、移住者自らの手によって築かれたものだそうです。

執念すら感じる乱積みの石垣の風景。外泊の歴史を知ることで、腑に落ちるものがありました。

では、「(何か)想像とは違っていた」の最大の理由は、建築技術の進歩に伴い2階建ての家屋が増えたこと、これに尽きます。

石垣だけでも素晴らしい風景であり批判もあると思いますが、風景は雄大なようで絶妙なバランスで成り立っているものです。

しかし、その考えはここで終わるのではなく、ここから強い葛藤が沸き起こるのです。

風景を残したいというのは勝手なエゴなのだろうか。いつもこの想いにぶつかります。

現にこの外泊集落は1975年に歴史的建造物郡保存調査が行われたのですが、住民の意向もあって保存地区には指定されなかったそうです。

「なぜ?」

時代に合わないものは、無理強いをしてまで残すことはないのかもしれない。この保存地区に対してのまつわる経緯を知り、住民の方々が一番理解されているのかもしれない。

しかし、記録として残したいのは、乱積みの石垣と簡素な平屋の住まいなくしては、外泊集落の魅力を充分には語れないだろうという思いです。

100年後、石垣は残るかもしれません。集落の始まりは平屋だったこと、その後は2階建てが建ったこと、この経緯を知ることも風景を継承することのひとつになればと思うのです。



一級建築士事務所 hifumiarchitects / ヒ フ ミ ア ー キ テ ク ツ

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